俊芿(しゅんじょう)は、鎌倉時代前期の僧。出自については不詳である。肥後国飽田郡の出身。字は我禅。号は不可棄。勅号は大興正法国師、諡号は月輪大師(がちりんだいし)。真言宗泉涌寺派の宗祖とされる。

業績

寿永3年(1184年)、18歳の時に出家剃髪し、翌文治元年(1185年)に大宰府観世音寺で具足戒を受けた。正治元年(1199年)には、「伝律」のため中国(宋)に渡った。径山の蒙庵元総に禅を、四明山景福寺の如庵了宏に律を、北峰宗印に天台教学を学んで、12年後の建暦元年(1211年)に日本に帰国して北京律(ほっきょうりつ)をおこした。俊芿に帰依した宇都宮信房に仙遊寺を寄進され、寺号を泉涌寺と改めて再興するための勧進を行った。後鳥羽上皇をはじめ天皇・公家・武家など多くの信者を得て、そこから喜捨を集め、堂舎を整備して御願寺となり、以後、泉涌寺は律・密・禅・浄土の四宗兼学の道場として栄えることとなった。俊芿の伝記としては、鎌倉時代に成立した『不可棄法師伝』が知られている。

能書家としても知られ、その書名は宋朝においても高かったといわれる。日本に宋風の新書風をもたらした功は大であり、筆跡としては、『泉涌寺勧縁疏』(せんゆうじかんえんそ)と『附法状』がともに国宝として泉涌寺に現存する。

泉涌寺勧縁疏

仙遊寺を泉涌寺と改めた翌年の承久元年(1219年)10月、54歳のときに書した勧縁疏である。文章・書風ともに優れており、風格・骨法は宋代に流行した黄山谷風の行書体である。5紙1巻よりなり、外題に「造泉涌寺勧進疏」とある。大きさは、40.8cm×29.3cm。

参考文献

  • 木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
  • 飯島春敬ほか 『書道辞典』(東京堂出版、1975年4月)
  • 総本山御寺泉涌寺編『泉涌寺史 本文篇』法蔵館、1987年

出典

関連項目

  • 日本の書流
  • 日本の書道史

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