紀元前566年(きげんぜん566ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元188年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前566年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
- 干支 : 乙未
- 日本
- 皇紀95年
- 綏靖天皇16年
 
- 中国
- 周 - 霊王6年
- 魯 - 襄公7年
- 斉 - 霊公16年
- 晋 - 悼公7年
- 秦 - 景公11年
- 楚 - 共王25年
- 宋 - 平公10年
- 衛 - 献公11年
- 陳 - 哀公3年
- 蔡 - 景侯26年
- 曹 - 成公12年
- 鄭 - 釐公5年
- 燕 - 武公8年
- 呉 - 寿夢20年
 
- 朝鮮
- 檀紀1768年
 
- ユダヤ暦 : 3195年 - 3196年
できごと
中国
- 魯の季孫氏が費に城を築いた。
- 魯の季孫宿が衛に赴いた。
- 晋の韓厥(韓献子)が引退し、韓起(韓宣子)に後を譲った。
- 衛の孫林父が魯を訪れ、盟約を結んだ。
- 楚の子嚢(公子貞)が軍を率いて陳を包囲した。
- 晋の悼公・魯の襄公・宋の平公・陳の哀公・衛の献公・曹の成公らが鄬で会合した。
- 陳の哀公は楚軍に公子黄を捕らえられ、別の君主を立てようとする動きを知らされたため、鄬の会合から逃げ帰った。
誕生
死去
- 鄭の釐公
脚注




