藤原 基貞(ふじわら の もとさだ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家、右大臣・藤原頼宗の三男。官位は正四位下・刑部卿。
概要
長元8年(1035年)ごろ但馬守、寛徳2年(1045年)ごろ美作守、寛徳3年(1046年)ごろ美濃守、康平3年(1060年)近江守と後一条・後朱雀・後冷泉の三朝に亘って地方官を務めたほか、刑部卿などを歴任した。しかし、妾腹だったことなどから官位には恵まれず、正四位下・刑部卿止まりで、藤原道長の孫でありながら僧・頼観を除いて兄弟中唯一公卿に昇っていない。
一方で、多くの子息に恵まれ、兼実は太政大臣・藤原信長の養子となる。また、娘は権大納言・藤原公実、摂関太政大臣・藤原師実にそれぞれ嫁ぎ、その子が三条家・大炊御門家として後世に血統を繋げた。
官歴
- 長元9年(1035年) 春:但馬守
- 寛徳2年(1045年) 4月8日:見美作守従四位下
- 寛徳3年(1046年) 4月:見美濃守
- 康平3年(1060年) 11月16日:見近江守
- 時期不詳:正四位下。刑部卿
系譜
- 父:藤原頼宗
- 母:源公子 – 源高雅の娘
- 妻:源章任の娘
- 長男:藤原敦基(?-1094)
- 男子:藤原基仲(?-1072)
- 男子:藤原兼実 - 藤原信長養子
- 妻:藤原良頼の娘
- 男子:藤原時実
- 男子:貞禅
- 生母不明の子女
- 男子:藤原家俊
- 男子:永基
- 女子:藤原公実室(1058-1105) - 三条実行母
- 女子:藤原師実室 - 藤原経実母
- 女子:藤原姿子 - 実仁親王宣旨
- 女子:藤原基長室
- 女子:高階為章室
脚注
参考文献
- 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年
- 宮崎康充編『国司補任 第四 第五』続群書類従完成会、1990年



