マリオ・メンドーサ・アイスプル(Mario Mendoza Aizpuru , 1950年12月26日 - )は、 メキシコ・チワワ州チワワ出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。MLBとメキシカンリーグでプレーした。
MLBでは典型的な守備型の遊撃手で、打率は2割に満たないことも多かった。これに因んで、打率2割のラインが「メンドーサ・ライン(Mendoza Line)」と呼ばれるようになった。
経歴
渡米前はメキシカンリーグのディアブロス・ロホス・デル・メヒコ(Diablos Rojos del México)でプレーしていた。
1970年にピッツバーグ・パイレーツと契約。
1974年4月26日のアストロズ戦で代走として出場し、メジャーデビューを果たした。パイレーツには5シーズン在籍したが、守備固めとしての出場が大半だった。
1978年の12月に自らトレードを志願し、シアトル・マリナーズへ移籍した。
1979年には自己最多の148試合に出場したが、401打席で打率は.198だった。「メンドーサ・ライン」という言葉が生まれたのはこの年のことであった。
1980年には自己最高の打率.245を記録した。この年の12月12日にウィリー・ホートンら合計11選手が動く大型トレードでテキサス・レンジャーズに移籍した。
1982年のシーズン途中にレンジャーズを解雇される。
1983年は3Aのハワイ・アイランダーズ(Hawaii Islanders)でコーチ兼任選手としてプレー。
1984年からメキシカンリーグへ戻った。
1990年に現役を引退した。この7年間の通算打率は.291だった。
引退後は1994年にビル・バベシの招きでアナハイム・エンゼルスの1A監督に就任し、2000年まで務めた。同年にはメキシコの野球殿堂入りを果たした。2002年にはサンフランシスコ・ジャイアンツの2A、2003年から2008年、2010年はメキシカンリーグで監督を務めた。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 11(1974年 - 1980年)
- 14(1981年 - 1982年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
- メキシコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



